『もう行かなくていいでしょ?』子世代と90代が真っ二つに分かれる“弔問”の価値観

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「○○さんが亡くなったらしい。今度、お参りに行こうと思う」
90代の親がそう言ったとき、子ども世代の多くはこう感じるかもしれません。
「葬儀も終わったんだし、もう行かなくていいんじゃない?」
「わざわざ家まで行く必要あるの?」
「相手も迷惑じゃないのかな?」
ところが、親にしてみれば不思議で仕方ありません。
「亡くなったのだから、お参りに行くのは当たり前じゃないか」
実はこのすれ違いは、単なる親子げんかや価値観の違いではありません。
昭和から令和にかけて、日本社会そのものが大きく変化した結果なのです。
今回は、なぜ90代の人たちは弔問を大切にし、なぜ子ども世代は「もう行かなくていい」と感じるのか、その背景を掘り下げてみます。
昭和の時代は「お互いさま」で成り立っていた
現在90代の人たちは、昭和の前半から中頃を生きてきました。
当時の地域社会は、今とは比べものにならないほど人と人とのつながりが濃厚でした。
近所同士で醤油や味噌を貸し借りする。
子どもは地域全体で見守る。
冠婚葬祭は集落や町内会が協力して行う。
そんな時代です。
誰かが亡くなると、
- 通夜に行く
- 葬儀に参列する
- 後日、自宅へ線香をあげに行く
という流れはごく自然なことでした。
それは単なる儀式ではありません。
「あなたの悲しみを共有しています」
「困ったことがあれば助けます」
「これからも付き合いは続きます」
という社会的なメッセージでもあったのです。
現代人から見ると少し重たく感じるかもしれませんが、当時はそれが人間関係の基本でした。
現代人が「行かなくていい」と感じる理由
一方で、現代の子ども世代は違います。
なぜ弔問に積極的でなくなったのでしょうか。
理由はいくつもあります。
1. 近所付き合いが激減した
今では隣の家の人の名前を知らないということも珍しくありません。
マンションなら、同じ階の住人ともほとんど会話をしないことがあります。
生前に深い交流がなければ、亡くなった後も弔問しようという気持ちは起こりにくくなります。
昔は「近所の○○さん」だった人が、今は「たまに見かける人」になってしまったのです。
2. 葬儀の形が変わった
近年は家族葬が主流になっています。
参列者を限定し、静かに見送るスタイルです。
中には、
- 香典辞退
- 弔問辞退
- 供花辞退
を明記するケースも増えています。
そのため、
「葬儀後に自宅へ伺う」
という文化そのものが薄れつつあります。
3. 忙しさが増した
現代社会は時間に追われています。
共働き世帯が増え、仕事も多忙です。
昔なら半日かけて弔問していたことも、今ではスケジュール調整が難しい。
結果として、
「気持ちはあるけど行けない」
という人も増えているのです。
4. 人間関係が分散した
昭和の人間関係は地域中心でした。
しかし現代人は、
- 職場
- 趣味
- SNS
- オンラインコミュニティ
など複数のコミュニティに所属しています。
そのため、一つ一つの人間関係にかける時間や労力が減っています。
90歳世代が弔問を重視する理由
実は、
亡くなった人のためというより、
生き残った人との関係維持
の意味が強いです。
例えば、
「○○さんが亡くなったからお参りに行く」
は、
- 故人への敬意
- 残された家族への慰め
- 長年の付き合いの確認
を同時に行っています。
90歳前後の人にとっては、
人生最後の人間関係の整理でもあります。
高齢者にとっては人生の総決算でもある
90代になると、友人や知人との別れが増えてきます。
同級生。
近所の仲間。
親戚。
若い頃から付き合いのあった人たちが次々と亡くなっていきます。
そのため弔問は、
「最後のお別れ」
という意味を持つようになります。
また、
「自分もいつか見送られる側になる」
という意識も自然と芽生えます。
だからこそ、一つ一つの別れを大切にするのです。
子ども世代は冷たいのか?
では、子ども世代は冷たいのでしょうか。
そうとは言えません。
価値観が変わっただけです。
現代人は、
- 相手に負担をかけたくない
- 遺族をそっとしておきたい
- プライバシーを尊重したい
と考える傾向があります。
そのため、
「行かないことが配慮」
になる場合もあります。
昭和世代の「会いに行く優しさ」と、
現代世代の「距離を取る優しさ」。
表現方法が違うだけで、根底にある思いやりは共通しているのです。
今後、弔問文化はどうなるのか
今後20年、30年で弔問文化はさらに変化していくでしょう。
すでに、
- 家族葬
- 一日葬
- 直葬
が増えています。
さらに、
- オンライン追悼
- SNSでのお悔やみ
- デジタル献花
といった新しい形も登場しています。
昔ながらの「自宅へ参る」という文化は少しずつ減るかもしれません。
しかし、人が亡くなったときに故人を偲び、残された人を気遣う気持ちそのものはなくならないでしょう。
形が変わるだけなのです。
親子で意見が違っても、それは自然なこと
高齢の親が
「お参りに行きたい」
と言い、
子どもが
「もう行かなくていいんじゃない?」
と言う。
これはどちらかが間違っているわけではありません。
親は昭和の共同体社会を生きてきました。
子どもは令和の個人社会を生きています。
育った環境が違うのだから、考え方が違うのは当然です。
むしろ大切なのは、
「なぜそう考えるのか」
を理解することではないでしょうか。
90代の親が弔問を大切にするのは、人とのつながりを大切にしてきた人生そのものを表しています。
そして子ども世代が負担や効率を考えるのも、現代社会を生き抜くために身につけた合理性です。
時代は変わります。
しかし、人を思う気持ちだけは、昭和も令和も変わらないのかもしれません。
まとめ
- 昭和の時代は地域共同体が強く、弔問は当たり前だった
- 現代は近所付き合いの希薄化や家族葬の増加で弔問文化が縮小
- 90代は「人とのつながり」を確認する意味で弔問を重視する
- 子世代は「負担をかけない配慮」を重視する傾向がある
- どちらが正しいのではなく、時代背景の違いによる価値観の差である
親が「お参りに行きたい」と言ったとき、その言葉の裏には、長い人生の中で築いてきた人間関係への敬意が込められているのかもしれません。

